ミレニアムシティの調和のまちづくり

ミレニアムシティの活動の基本的な理念についてまとめています。

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ミレニアムシティの調和のまちづくり

2つの輪

私たちはミレニアムシティの活動理念を表すために次のような模式図を使っています。雪だるまのような2つの輪です。この2つの輪は、見てのとおり人のように見えます。それは私たち自身の頭と体を表しています。同時にそれは例えば精神と肉体、理想と現実、生きがいと仕事など、さまざまな比喩として考えることができます。私たちは、この2つの輪がばらばらになることなく、重なり合い調和するような生き方や活動をしたいのです。つまり頭だけ、体だけの生き方ではなくそれらが調和した生き方。理想だけ、現実だけの生き方、あるいはその2つが乖離した生き方ではなく、それらが調和した生き方。いきがいと仕事の一致などです。

調和のまちづくり1

次にこの2つの輪を横にしてみます。そうすると今度はそれが人と人、人と自然など、私たちと他者との関係を表していると見ることができます。私たちはこの2つの輪が重なり合った状態が大切ではないかと考えています。人と人の関係では、お互いに違う所を探し、対立し、競争するのではなく、違いは違いのままにして、重なり合う部分は何かを探し、それを理解しあうような生き方、他者とのつきあい方をしたいのです。

調和のまちづくり2

分離する2つの輪

ところが残念なことに私たちは、2つの輪が離れた状態になっていることが多そうです。他者との関係では、私たちは相手の欠点にばかり目がいってしまい良いところにはなかなか気が付こうとしないようです。そして小学校に入る前から競争を意識させられ、それに勝つことが成功であると教え込まれてきました。競争社会においては個人はますます孤独になり、間違った意味の個人主義(自己中心主義)がはびこり、輪はますます離れていくというのが私たちの姿ではないでしょうか。その結果、私たち自身の頭と体を表す2つの輪も離れてしまい、欲望にまかせて生活したり、精神的な世界に逃避したり、仕事は生活のためと割り切って趣味に生きがいを見いだしたりという人が多いのではないでしょうか。

調和のまちづくり3

この2つの輪の重なりを私たちは意識的に作ります。自分と他人は違います。しかし違いは違いとしてお互いに認めた上で、通底する考えや、共有できる生活、協調できる生き方を持つこと。ひとりひとりが自由で独立し、かつ誰をも支配せず、対等に生きていく。そのような社会がこれからの理想社会だと思うのです。あるいは、この重なりの中に「すべてが1つ」という考えを垣間見ることも可能です。

まちをつくって・いっしょに暮らす

私たちがめざすミレニアムシティも2つの輪で説明することができます。
今の建物やまちは1つ1つの輪が分離した状態と言えます。それは空間的にもエネルギー的にも大変に非効率であり、また核家族や高齢社会の問題を見るまでもなく社会的にも精神的にも多くの弊害をもたらしていることは、多くの方が指摘しているところです。この分離した輪を緩やかに重ね合わせたいと私たちは考えています。
他者との関係で言えば、個人は自由で独立しながら、共有できる部分持ち、助け合う仕組みができないでしょうか。自然との関係で言えば、自然を破壊することなく持続可能な関係を持ち、自然から得られるエネルギーや感性を享受できるような共生の関係を持つことはできないでしょうか。
「まちをつくる」とは、このような環境を自分たちの手でつくるということです。そして「いっしょに暮らす」とは2つの輪を重ね合わせるような暮らし方、生き方をするということです。つまりミレニアムシティとは、私たちが理想とする生活の場をつくり、そこに暮らすことによってそれを実現するプロジェクトであると私たちは考えています。
(おのかずき/エコライン)

結んでひらいて

ミレニアム・シティで私達が実現したいのはどのような都市なのでしょうか。それは建築や都市というハードをつくることと共に、そこに住む人のためのソフトやそれを維持し広げるシステムをも同時につくることです。それを理解するためにいくつかのキーワードから考えてみましょう。まずは「結んでひらいて」。

結んで…つながりを求めて

「結んで」とは、「結びつける」とか「つなげる」という意味で使っています。これはつながりを求める言葉です。
私たちは、頭と体、理念と行動、生きがいと仕事などがばらばらになることなく調和できるような生き方を求めています。同時に、人と人、人と自然との関係においても、お互いの違いを認めながらも調和できる部分を見つけ、尊重しあうような生き方を求めています。自分の内面においても、他者との関係においても、このつながりを意識し、つくり、育てるような生き方をしたいのです。
改めて考えるまでもなく、私たちはさまざまなつながりによって生き、生かされています。人という字は人が人を支えている形だそうですが、人だけでなく、自然をはじめとしてありとあらゆるものに私たちはつながり支えられていると感じることができます。このようなつながりを意識すると、競争や対立、批判や中傷は好ましくないし、愚かなことだと思えてきます。

ひらいて…自由に生きる

「ひらいて」とは、「閉じこもらない」とか「心をひらく」という意味で使っています。これは自由を求める言葉です。価値観や年齢、人種などが違ういろいろな人といっしょに、住む場所や環境を整え……家から都市までをつくりたいというのが私たちのめざすところです。

いっしょに暮らす

もう少し具体的に「結んで」を説明する言葉としては、いっしょに暮らす、いろいろな施設やものを共有して暮らす、いろいろな人が結ばれて生きる、人と自然が共生することなどがあげられます。一方、「ひらいて」とは人や施設、情報などが開かれていることを表しています。私たちはこの2つの言葉が融合できる環境づくりをめざしています。
「いっしょに暮らす」とか「共有して暮らす」というと、昔ながらの村社会や大家族など、どちらかというと封建的で個人の自由やプライバシーがない、あまりいいイメージがしない言葉かもしれません。私たちが望んできた都市化とか近代化とはそういったものを払拭し、個人が自由に生活することを目標にしてきたとも言えます。もともと都市とは人が集まって住むことによって成立していますが、一方で人は孤立してしまうことが多くなります。その匿名性が都市の魅力の1つであるとは言え、それによって様々な弊害を生みだし、大切な何かを忘れてきたような気もします。
 個人としては自由で、プライバシーも確保された上で、いっしょに暮らすことや共有することのメリットを生かす生活ができないでしょうか。そのような生活環境を実現するためのもう一つのキーワードが「ひらいて」だと思うのです。

ひらいて暮らす

人が自立して生きるとは、自分の殻に閉じこもったり、自己中心的に生きることではなく、心を開いて、お互いの立場を尊重して付き合うことだと思います。同様に家や街も、カーテンを閉め切って中で何が起こっているかわからないような生活ではなく、外の様子が中から判り、中の様子も外に伝わるようなものが望ましいと思います。街は地域に開かれており、誰でもが自由に出入りできることが望まれます。私たちは閉鎖的な共同体を作ることをめざしているわけではないのです。
開くということでもう一つ重要なのは情報もオープンにされることです。参加者に対して,地域に対して、まだ見ぬたくさんの人に対して、常に最新の情報が提供され、応答も受け取ることができるということが必要です。
(おのかずき/エコライン)




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